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〜 2007 奴隷物語@発売記念企画 〜
帝都の風景




 第10回『帝都のお酒 その1』


 アイマール帝国の首都、帝都コンスタンティノヴァール。
 先回は、主人公ジェナたちが暮らす下宿「コバシュ」の1日をご紹介することで、
帝都に住む異邦人の庶民たち、その食生活を簡単にお話しさせていただきました。
 今回は、食生活には欠かせない飲み物――現代のそれより、はるかに重要度の高かっ
たお酒を、帝都のアルコール飲料事情についてお話しさせていただきます……

 帝都のあるじ、アイマール真教徒たちは、宗教の教義で飲酒そのものが禁止されて
おります。しかし…… お酒の魅力には抗いがたいもの――ペルシアの宮廷文学や、
様々の伝承、おとぎ話にも、お酒を飲む男たちが描かれ、中には酒の魅力を素晴らしい
詩で歌い上げた作品もあります。
 真教徒たちは、お酒を飲まない人は全く飲みませんが――飲む人は、それが悪いこと
だと理解しつつ、それを戒めとして代わりに祈り善行を積むことなどで、お酒を飲むと
いう行為を自分の中で納得させているようです。
 もっとも、敬虔な真教徒、そして女性は、決して飲酒をしません。
 本来は、宮廷の宴席でも酒は出されなかったのですが…… 壮麗王のあと、次第に
堕落してゆく宮廷と新皇帝たちは、西欧人のように酒色に溺れてゆきます……

 そして帝都の住人たちのうち、多数を占めるキリスト教徒などの異邦人たち。
 教義で飲酒を禁止されていない彼は、彼らの生活は、お酒とは切っても切れないもの
でした。
 昔の、近世までのキリスト教徒、西欧人たちは、現代の私たちと比べると驚くほど
大量のお酒を消費していました。これは、飲酒のほかの娯楽が少なかったこと、そして
都市部では水が汚染されていることが多かったため、水の代わりにワインやビールを飲
んでいたこと、また、栄養状態の悪かった当時は、お酒も重要な栄養源であったこと
などが理由に挙げられます。
 今回の主人公、ジェナたち西欧の異邦人――
 帝都で暮らす彼らは、どんなお酒を飲んでいたのか? それを、帝都で飲まれていた
お酒ごとに見ていってみましょう。


・ボザ(雑穀ビール)とビールの歴史
 ボザは、アワやヒエ、野生種の麦などを原料にして作る雑穀ビールのことです。
 帝都の異邦人街で一般的に飲まれているお酒で、帝都風ビールと言うことも出来ます。
このお酒はもとはエジプトやマグリブの人たちの飲み物でしたが、麦でなく雑穀で作る
この安価なお酒は、帝都の庶民のあいだにすぐに広まって定着しました。
 普通のビールは大麦を原料に、その麦をいったん発芽させてから乾燥させた、いわ
ゆる麦芽を原料としますが、このボザは炊いたり煮たりして加熱した雑穀を原料とし、
そこに麦芽などを加えて発酵させます。
 この麦芽という素敵な物体には、麦の中にデンプンやタンパク質の形で貯えられて
いた養分を分解して芽の栄養にする、アミラーゼなどの酵素が含まれています。ビール
もボザもその酵素の力でデンプン質を糖分にし、その糖分を酵母菌が食べてアルコール
にしてくれるのです。
 このビールという、穀物で造るお酒――その歴史に、少し寄り道いたしますと……

 ビールの歴史はとても古く、紀元前4000年ころには古代メソポタミアで大麦が
栽培され、パンといっしょにビールが大量に造られていました。
 大昔のビールは、発芽させた大麦で造ったパンを水につけて自然発酵させたもので
した。それが次第に、発芽させて麦芽を出した大麦を煎ったり煮たりして、そこに
上記のパンをくわえて発酵させる方法などが発明されていきました。
 そんな古代ビールは、液体の中にもみがらや麦のかすがたくさん入っていましたので、
飲むときには麦の茎をストローに(ストローは麦の茎という意味です)して飲みました。
 宴席の時にはみんなでビール壷にストローを差し込んでいる口径が粘土板の絵などに
残されています。
 余談ですが…… お酒をストローで飲むと酔いが回る、という経験がある方も多い
かもしれません。当時の古代ビールはけっこうキケンなお酒だったかも知れません。
 古代ギリシャの古典「アナバシス」では、ペルシアの敵地から撤退するギリシア兵
たちが、アナトリアでこのビールをストローで飲んで――現代よりも濃いぶどう酒に
慣れていたマッチョなギリシア重装歩兵たちが、そのビールで泥酔し悪酔いしてしまっ
たという話が生き生きと描かれています。
 そして時代は流れ――
 ぶどう酒全盛のローマ帝国の崩壊後、中世暗黒時代を経て、ヨーロッパとくにぶどう
の生育に適していなかったドイツ地方やイギリスなどでは、麦から作るお酒が次第に
飲まれるようになっていきます。それまでは、辺境のお酒と言えば蜂蜜からつくる
蜂蜜酒、ミードが主流でしたが、大量に作れる麦のお酒――当時はエールと呼ばれて
いたお酒が次第に広まっていきます。
 このエールに、16世紀くらいからホップという植物の花で味と色を付けることが
始まり、これが現代で言うビールの始まりになります。
(……実際には、エールとビールの区別は当時から曖昧で、ハッキリ区別が付けられる
 ようになったのはだいぶ後のことでした。また、現代もエールと呼ばれるお酒があり
 ますが、これはビールの一種で、大半はホップが入っております。
 ……このビールの歴史は、また別の機会にお話しさせていただきたいと思います……)

 こうして、16世紀から現代のものと同じようなビールが作られるようになります。
 ――現代のビールは、大別して三種類の製法で造られています。

・上面発酵ビール

 これは、摂氏20度くらい、室温ほどで作られるビールで、発酵させる酵母が液体の
 上の方に塊を作るのでこう呼ばれます。次記の下面発酵ビールよりも速く発酵が進み、
 濃厚で力強い味わいのビールが出来上がります。
 現代だと、有名なアイルランドのスタウト、黒ビールなどがこれです。
 昔のビールは、この上面発酵のものがほとんどでした。

・下面発酵ビール

 これは低温、摂氏10〜5度という冷やした空間と樽で醸造されるビールで、酵母は
 液体の底のほうで塊を作って、底で発酵が進みます。15世紀のドイツ、バイエルン
 地方で始まったこの醸造方法は、冬季の寒さを利用し、じっくりと時間を掛けて、
 透明度が高くスッキリした味わい深いビールを造り出すことが出来ます。
 現代の日本などで造られているビールのほとんどは、この下面発酵のピルスナーと
 呼ばれるものになります。現代は冷凍技術と微生物の研究成果により、高品質の
 ビールが大量生産されています。

・天然発酵ビール
 上面発酵ビールを、温度管理などせず室温で天然酵母の働きに任せて作るものです。
 ワイルドビールともいい、昔のビールはこれになります。

 ――16世紀ごろは、主にこの上面発酵のビールが世界各地で造られ、味もホップを
 入れるもの入れないもの、各種の薬草を入れたもの、スパイスで味を付けたもの。
お国がらにあった、様々のビールが造られていました。
 そのうちのひとつが、帝国領そして帝都で作られていたこのボザになるわけです。

 ボザは、雑穀を原料としている関係上、穀物に含まれる栄養価が麦のそれより低い
ため、そのままでは発酵がうまくいかず、アルコール分が少なくなってしまいます。
 そのためボザの醸造のときは、原料の過熱した雑穀に、麦芽を、そして酵母の栄養と
なる糖分を、蜂蜜や、当時流通し始めていた砂糖などを加えました。
 当時はまだ、微生物学も顕微鏡もない時代でしたが――それよりはるか以前、古代の
メソポタミアのころから、発酵という現象と糖分の関係は知られており、ビールだけ
ではなくパンを作るときにも、小麦粉の中に蜂蜜を入れて酵母の働きを活発にさせ、
ふっくらパンを作ることが行われていました。

 帝都のボザは、この蜂蜜加糖されたものがほとんどで、飲み口は現代のビールと
比べると、炭酸分が少なくどろっとした、甘みのある飲み物でした。アルコール分は
醸造されたブランド?によって異なりましたが、2%くらいの薄いものから、8%近い
強いボザもありました。(現代のビールは5%くらいです)
 ボザを強くするためには、醸造の時に加糖する蜂蜜を多くしますが、この蜂蜜は、
帝国の辺境、トラキア地方から黒海のあたりの平原は古代から蜂蜜の一大生産地で
あったため安価で流通しており、庶民のお酒ボザを甘く、強くしてくれました。
 またこの蜂蜜は、養蜂に使うミツバチが集まる花の種類によって風味や成分が変化
することが知られており、とくに黒海地方のキョウチクトウの一種の花から集められた
蜜には毒性があり、そのまま食べたりすると強い幻覚や、ひどいときには死をもたらし
ます。この毒蜜をこっそりと、少しだけ混ぜたボザも作られており、これには強壮剤
そして媚薬としての効果があるとされ、ひそかに流通されていました。
(この毒蜜も、上記の「アナバシス」に記録が残されており、敵からぶんどった毒蜜を
 それと知らずに大喜びで食べたギリシア兵たちが、幻覚や腹痛で大変なことになった
 と記されています…… それでも生きてる頑丈人間な人たち……)

 こうして醸造されるボザは、帝都で大量に、まさしく水のごとく消費されていました。
 帝都に流通するボザの大半は、市街の外、ガラタ北部の森林帯やイスクダールで造ら
れ、帝都に船や荷駄の背で持ち込まれます。これは、帝都の市内では水と薪が高価で
あるのと、さすがに神皇帝のお膝元で酒を醸造するのははばかられていたせいです。
……もっとも、帝都の下町にはもぐりのボザを密造する酒屋がたくさんありました……
 巨大な樽や甕に詰められて帝都入りしたボザは、港や城門にある検査役場に持ち込ま
れ、そこで検品と税金の徴収が行われてから、小分けにされて帝都市外の異邦人街に
樽や甕、革袋で運ばれ、それからようやく人々の口に入ります。
 下町でこのボザが飲まれるときは、そのまま飲む以外にも、蜜やスパイスで味を付け
たり(ショウガとコショウ味が人気でした)、お燗をして飲んだりもします。
 このボザの値段は、大バザールにある検査役場の規定により厳しく決められていま
した。末端で売られるときの、規定の水差し一杯(ほぼ2パイント/約1リットル)
が、銅貨1枚、1マンジルで売られるよう、酒屋組合にお達しが出されていました。
(庶民を守るこの規則も、悲しいかな――時代が進むと、規定の水差しは小さく、
 そしてボザはどんどん薄くなって、税ばかりが重く…… どこかで見覚えのある光景
 が、この帝都でもおこっていました……)
 普通の酒場や飲み屋だと、1パイントのカップやジョッキで、半マンジル――
半端なお金ですが、どうせ何杯も飲みますし、ツケでまとめて飲み代を回収しましたの
であまり問題はなかったようです。
 異邦人の男たちは、昼の休みにまず一杯二杯――夕刻ひと仕事終えると家に帰る前に
仲間たちと屋台の料理を肴にまた一杯、そして家に帰ってまた一杯。よほど貧しい階級
でなければ、毎日、この酒で男たちは喉と魂を潤していました。

 このボザは、お酒として飲まれるだけではなく、パンを捏ねるときに使ったり、また
スープのベースにしたりと、異邦人たちの食生活には欠かせないものでした。醸造の
時に大量に出る「搾りかす」も、練って焼き固めてビスケットのようなお菓子にして
食べたり、あまりに質の低いものは家畜の餌にされたりと、まさに捨てるところのない
飲み物そして食べ物でした。

 このボザですが…… 便利で手軽なぶん、大きな欠点もありました。
 それは、日持ちがしないこと――現代の、密封された瓶や缶に慣れてしまった現代の
我々にはいまいちピンと来ませんが、ビールは生もの…… すぐに悪くなります。
現代のビールも、コップに注いで次の日になると……この実験はおすすめしません……
 当然、昔のビール――帝都のボザも、すぐに悪くなってしまいました。
 現代のビールよりも不純物や雑菌が多く、しかも衛生状態もお世辞にも良いとは言え
ない当時、帝都のボザ――醸造されたその時から、すでに劣化が始まります。
 ボザが醸造されてから検品され、下町の店先に並ぶまでほぼ24時間。そのあいだに
も、すでにあやしい臭いと味になってしまうこともたまにありました。
 そのため、コバシュのような酒場では、とくに暖かい季節は、仕入れたボザはその日
のうちに売り切ってしまわねばなりませんでした。冬場は、だましだまし三日ほどは
売り物になりましたが、夏場は、現代と同じくビールの激戦区――売り上げも大きい
ぶん、あまると大損でした。
 そのため――こっそりと、近場で欲しいときに仕入れが出来て、おのずから新鮮な
ボザが手に入るもぐりの密造ボザは無くなるどころか、大繁盛していました……

 今回は、異邦人のお酒、家庭的で庶民の味、ボザを紹介させていただきました。
 次回は、ワイン――ぶどう酒を、帝都のもう一つの血液、真教徒たちも飲むその
赤いお酒のことをお話しさせていただきたいと思います……


                                   つづく

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